引きこもり
週末引きこもり
しちゃうんですよね。
「自分が祖母を殺してしまうのでは」と苦悩したひきこもり青年が“脱出”するまで(週刊女性PRIME) - Yahoo!ニュース
この方なんか、非常に立派ですよね。私、子どもできてから、引きこもったことがありますが、なかなかそこから抜け出すこと出来ませんよね。
いまだに週末引きこもりが続いてます。友人や子どもの学校のママ友さんらとは距離置いちゃってますし。下手すりゃ、実家にもほとんど行かないという。。誰とも会いたくない。
自分の時間がないと、平日の仕事の疲労感がとれない。いや、とれてないから一気に7キロ減少したまま元に戻れないのでしょうね😢
自己のコントロール
仕事や家庭で嫌なことあると、自制心がどこかへ飛んでいき、自分が自分でなくなるんです。涙が止まらない。「なんでぇー私だけぇー」「ツライ〰️」そして、あんまり酷いと「あたしこれから死ぬから。」と、信頼してる人に心配かけることで安心するという。
嫌な奴です。
先日は、本当に死んでしまうかと思ったくらい思い詰めてしまったのですが、包丁研いで、グサッグサッ。。。自分の足や腹。。は無理だったので布団をグサッグサッ。
旦那は家庭内別居なので、なんも気づかず。猫だけが、心配そうに一晩中ついていてくれてました。
どうしたら、コントロールきくようになるんでしょうかね。そのうち旦那を刺してしまいそうで怖い。
暗い過去って
なかなか思い出すのも辛いですね。
今もすっかり元気になったかと言えば嘘になりますが。無理して仕事や新しく再婚した性格の合わない夫と暮らしてて帯状疱疹でベル麻痺(顔面麻痺)で入院したり、ODで救急搬送されたこともあるし(もう3年前か)、もう最悪。再婚相手は結婚決まってからかなりのけち、自分で経営していた会社は傾いていて収入なし、私が聞かされていた資産は嘘だったことが判明。その後、毎月入れてくれるはずの生活費はなぜかなし。お互いの収入知らんし。もちろん向こうの方が高収入は明らかなんですが、入院や退院後の療養中も生活費はくれませんでした。私の息子の学費も出し渋るわ、もう、ほんとつらい。こんなに素晴らしい人生ってあるの?ってくらい、笑える人生です。
お陰さまで、今も精神科にお世話になっている次第です。薬は一種類に減らしましたけどね。今はその日の体調気分で、自分で調整する感じです。
空白の3年間
こんばんは。
産後、どう過ごしていたのか思い出してみたのですが、断片的な思い出しか出てこないので、相当薬の副作用あったのだと思います。
子どもも一番かわいい頃だったはず。。なのに、記憶ない😭 その頃の息子の写真は兄一家やジイジとバアバに囲まれて写ったものしかない。私はどこで何してた?? 離婚後は仕事していたような気もしないでもない。だが、記憶はない。
抗うつ剤とかって後遺症ありますよね。ODちょこちょこやってたので、相当摂取してるんですが、めまいが酷かったり記憶力が急激に落ちたり、ある日突然母乳が出てきたり。その頃は相当ヤバい体になっておりました。
あの頃に戻れるなら、息子をちゃんと愛してやりたかった。いっぱい遊んであげたかった。思い出沢山作ってあげたかった。後悔しかない。鬱になんかならなきゃ良かった。
産後鬱から離婚まで
実家に戻り、育児は両親に任せ、私は酒や精神薬に依存し生きる気力も無くしていました。夫とは、その頃離婚。毎晩私の自殺未遂を見つけることに、嫌気がさしたようでした。離婚でさらに気力もダウン。
早い結婚だったら、あまり相談できる友人も周りにおらず、孤独だったあの頃。。。病院行くことでしか外出もしていませんでした。
一番若くて楽しいはずだった年頃が、鬱で思い出という思い出はなんも覚えてない。
今思えば、親友が頑張って連れ出してくれたオーストラリアが良いきっかけになったのかな。ほんとあの時に良く両親を説得して、連れ出してくれたもんだ。親も、自殺するかもしれないような娘を、友達に託すのは怖かっただろうなと。友人も怖かったよね。。。ホテルに着いても、刃物や薬を隠してくれてたり、頑張ってくれてた。心から感謝。今さらながら、親友を大事にしよう。(笑)
周りの支え
続き
処方される薬があまりにも多く、それまで信頼していた主治医の先生までもがクリニックを度々休むようになりました。そして、カウンセリングの先生から「薬を断つのはやめてもとに戻るんだという強い信念が大事。自分も信念があるからこそ、ここを辞めるんです。もうここの先生は信頼できない。」や、信頼している夫婦(奥さん看護師)から「あそこのクリニックは患者に薬を大量に与え廃人にしてくいものにしてるという噂がある。なにも言わないから、病院変えた方がよいよ。」など、驚くべき話を聞かされることとなり、ようやく目が覚めたのです。。。もしかして、ないとダメだと信じていたこの薬たちが、自分を殺そうとしていたのではないか?と。
その頃、私には子供との思い出がありません。記憶がないのです。実家に一緒に暮らしていたはずなのに。「ママが怖い」と3歳の子供ですら寄り付かなかったほど、私が変わり果てていたということをずっと後から聞かされました。
続きはまた。